メンバー:セキ、他2名
12月27日(曇り)入山
東京駅から上越新幹線で越後湯沢駅に降り立つ。3日前に大量の降雪があり、ようやく雪国らしくなり岩原スキー場も滑れるようになった、とタクシーの運転手さんが喜んでいた。車の行けるところまで、とお願いしたが旭原の集落からわずか100㍍ほど林道を入った所で降ろされた。ここから先は除雪がされておらず、その先は雪で一段高くなった林道が杉林の彼方まで続いていた。身支度をして、輪かんを履き踏み跡の無い林道を歩く。深いところは膝位のラッセルが延々と続く。鹿やウサギの足跡の他に、いたる所に熊の足跡がある。今年はまだ冬眠をしていないのかもしれない。夏なら1時間ほどでたどり着く駐車場のある登山口まで4時間掛かってたどりついた。誰もいない雪の広場にいつもより広めに踏み固めテントを設営した。
東京駅(8:04たにがわ403)越後湯沢駅(9:30)→旭日原バス停から100㍍(10:30)→テント場(14:40)
12月28日(快晴)山頂アタック
アイゼンを履き輪かんを裏返しに着けて、踏み跡の無い樹林の中を夏の3倍の時間をかけて弥助尾根の取り付きにたどり着く。ここから夏ルートを離れて藪交じりの急な尾根のラッセルが始まる。ひたすら高みを目指せばよいのだが、密集した樹木を避けるため真っすぐに歩くことは出来ない。先ほどより深さを増した足元の雪を切り崩し、跳ね返る木の枝をかき分けながらの厳しい登行が続く。何度か先頭を交代する中で、頭の中に思いがよぎる。早すぎたのだ、まだ積雪が少なすぎるのだ。2月を過ぎれば2㍍を越える積雪の下に木々が埋もれて藪漕ぎラッセルに苦しむことなく、見晴らしの良い雪稜を山頂往復が可能になる。したがってこの時期に入山する者は誰もいない。尾根に取り付いて4時間近く経つが1141㍍のピークにすらたどり着けない。時計の針は12時を過ぎようとしていた。どんなにあがいても、山頂まであと3時間以上は掛かるだろう。それでも行けるところまで行ってみようとゆう元気玉は40年前にどこかに置いてきてしまったようだ。木々の間からは青空の彼方に雪をいただいた大源太山があざ笑うかの様に私たちを見下ろしている。疲れ切った私たちは、ようやく傾斜のゆるくなった1130㍍付近を今回の最高到達点として、しばし休憩を取ったのち2時間後にはテント場に帰り着いていた。その夜は鍋をつつきながら酒を飲み、敗退したことの反省も含めていつも通りの忘年山行の夜を楽しんだ。
テント場(7:00)→尾根取付き(8:00)→P1130m(11:50)下山(12:20)→テント場(14:20)
12月29日(みぞれのち曇り)下山
輪かんを履いてみぞれの降る中、ラジオを鳴らしながら熊の足跡だらけの林道のトレースをたどる。一昨日4時間かけて歩いた林道を2時間半かけて旭原にたどり着く。タクシーで越後湯沢駅に戻り、駅中に併設された入浴場で汗を流し、蕎麦屋で昼食を食べ昼過ぎの新幹線で帰郷した。
テント場(7:20)→旭日原(10:00)→越後湯沢駅(13:47とき)→東京駅(15:00)(セキ記)










コメント